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広島女学院中学高等学校

更新情報

2016.09.22

日米・高校生平和会議⑨ Technologies of Peace at Harvard! Day 3-1

 いよいよ会議2日目です。会議の主催者である渡邉英徳先生がハーバード大学で客員研究員をしておられる関係で,会場を使わせてもらえることになりました。地下鉄を降り,地上に出るとすぐにハーバードです。

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重厚な門構えに高校生一同,感動しました。

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「足を触ると賢くなる」と言われているジョン・ハーバードの像。(創立者ではありません) 嬉しそうに触って「これでかしこくなりました!」とはしゃぐ生徒・・・。

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会議は被爆者の証言から始まりました。アメリカ在住の被爆者として,藤本治祥先生がロサンゼルスからボストンまで来てくださいました。藤本先生が今回来て下ることになったのはまったくの偶然ですが,なんと1980年代半ばに広島女学院中高において聖書科の教員として3年間務めた方です。先生の被爆体験はあらかじめ宿題として読んでくるようにとの指示で,この日はご自身のクリスチャンとしての経歴に沿って短くお話をされ,その後質疑応答に多くの時間を費やされました。

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アメリカの高校生は,「なぜアメリカで伝道活動をされたのか。原爆を落とした国で,憎いと思わなかったのか」と質問しました。これに対し先生は,「憎いと思ったことは一度もない。聖書に『主よ,彼らをお許しください。彼らは何をしているか知らないのですから』と書いてあり,私はこのためにアメリカで牧師として伝道活動に従事した」と答えられました。また,本校生徒が「学校では原爆のことを勉強し,また日本がアジアで行った残虐な行為のことも習う。自分のなかで加害者としての日本と被害者としての日本をどのように整理してよいかわからない」と質問しました。藤本先生は「とにかく謙虚な気持ちを持ち続けること」とシンプルにお話されました。

 次にウィルミントンカレッジのPeace Resource Centerより、Tanya Maus先生です。このセンターは広島にあるワールドフレンドシップセンターの設立者であるバーバラ・レイノルズさんが1976年にオハイオ州にあるウィルミントンカレッジに作ったもので、広島・長崎の原爆に関する資料は全米でも有数のものです。センター長であるマウス先生(歴史学)が「日米の歴史教育の相違」として、特に原爆投下に関する扱いの違いに焦点を当てたレクチャーをしてくださいました。「教育の違い」は「歴史認識の違い」に起因します。それはどうしても「その国が作る歴史観」となり、偏りが生じます。この相違を客観的に提示された日米の高校生はあらためて「自分たちが受ける教育の重要性」に気づくことになり、午後のディスカッションでもそういった意見が出ました。大変示唆に富むレクチャーでした。

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また、この会議の主催者である渡邉英徳先生(首都大学東京)も「アーカイブ」に関するレクチャーをされました。まずはアーカイブの仕組み、特徴、そしてなぜこのアーカイブが今後さらに必要となってくるのか、などについてです。先生はNY、ハーバード大学、ボストン市立図書館、すべての会場でレクチャーを担当され、参加者は感嘆するだけでなく、繰り返されてはならない歴史を現代、未来へと語り継ぐツールとしてのポテンシャルの高さに希望を抱いたようでした。

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日本の高校生によるプレゼンテーションでは、学校紹介と日頃の活動を紹介しました。内容は国連でのプレゼンと同じものです。

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 この後、ランチです。午後のグループディスカッションに備え、グループごとにお昼を好きなところでとることになりました。